ぼやきの場所

使ってるSNSでは気後れする長さの文章置き場。

わからないこと、について。

 今日ぺけで如月について投稿したことを少し掘り下げてみようと思う。

 

如月側の事情を人間が理解できちゃうのはちょっと…って

 

 私はぺけに鍵をかけているので引用で該当の投稿をまず載っけておくことに。

 で、これについてあれそれ自分の思ってることを例によって例のごとく、ぐだぐだと綴っていくつもり。

 

 さてそれじゃあ早速。そもそも私は“わからない”を愛してる人間なのだ。この世界において私が関わってきたすべてを未だに“わからない”ままでいるし、これからもそれで良いと思っている。何故か。本当の意味で何かを理解することができるとは思っていないから。

 私たちは自分が持つフィルターを通してしか世界を知ることができない。いくら知識を蓄えても試行錯誤しても、そこにフィルターが存在していることそれ自体をどうこうすることはできない。価値観や倫理、常識といった内面は勿論のこと、ただの景色や音ですら必ず何かしらの処理がなされたものを認識してる。だから“本当”を理解する日は訪れない。下手をしたら知識として知ることすらできないかもしれない。

 わからないものをわかるように努力することは大事だと思う。でも本来それが持つ特徴や性質を無視したり、都合のいいように解釈したりするのは違うんじゃないかとね。ありのままのそれを前にしたときに自分の理解が及ばないのであれば、理解できないということも含めて好めば良いのではないかな。好きだからこそ理解したい、という気持ちは私も持っているけど、理解できるかどうかは好きという感情に関係ないし。

 

 特に如月は人でないものたちの集まりなんだから、人である私たちが彼らのこと何もわからないのは当然なんだよね。悪意の源も、行動原理も掲げる理念も闇の中。だからこそ不気味で危険で魅力的なんじゃないのかなーと。理不尽とか不条理とか、好きな人多いと思うんだよね。それらって理解できてしまったら途端に陳腐なものになるじゃん。同じことが言えるのではないかしらって。

 SCPは確保、収容、保護が理念。異常存在を正常なそれにすることは別に彼らの目的ではないでしょ。自分たちの常識も理解も及ばないものを、そのまま取り扱うからこそ面白いんだよ。だから如月もそのまま、意図もわからず理不尽で胸糞な悪意をぶつけてくるやべー奴ら的なカノンの方が私は好き。近頃は夏鳥とも関わりを持ち出してるけど、それに対しても共感や同士としてじゃなくもう嘲笑とかそっちの方向に振り切ってる方が好き。過去に戻りたい? じゃあずーーっと“嫌なことばっかりだった昨日”を繰り返そうねwみたいな。これミレニアムなタウンですね。如月関係ないけど久遠の105号室もめちゃくちゃ好きな記事です。

 

 んまあ、ヘッドカノンなんて星の数ほどはないけど沢山存在するものだし、そういう如月があっても良いのだとは思う。記憶処理薬の精製方法なんてもうめちゃめちゃバリエーション豊富だもんね。

 今の如月が好きな人だって勿論いるはずだし、その好きも尊重されるべき感情だから。この記事も私はこんな風に考えてるからこう思うかなー程度のもんで、強く主張するほどのものではないし。でも文章として記録に残しておくことは大事だって学んだので。おっかなびっくり書いてみたわけですね。

 

 そんなこんなで書きたいこと一通り書けて満足したので終わります。ミカグラでした。