ぼやきの場所

使ってるSNSでは気後れする長さの文章置き場。

理想と現実。

 理想と現実の間に存在するギャップというものには、誰しもが苦しめられてると思ってて。こうだったら良いのになーとか、こうしたいのになーみたいなものが自分の中にあって、でも実際に叶えられるかどうかは別問題で……っていうあれ。

 例に漏れずぼくにもそれは存在していて、普段は見て見ぬふりをしていられるんだけど時々思い出したように襲ってくる。考えないようにして目を逸らしている、優しくない現実がぼくを押しつぶしてくる。逃げたくなるような現実だから頭の隅に追いやってるというのに、すごい存在感を発してくる。

 

 空想家と呼ばれる人たちがどうして自分の世界に引きこもりがちなのか。答えはとても簡単で、自分の理想が叶う日が来ないことを知っているからなんだと思う。その理想がどんな種類のものかは人それぞれだと思うけど、現実というものは大抵の事に対して意地悪でそのくせ壁として強固なんだ。ぼくが生きてきた短い人生の中でさえ嫌というほどわかったその事実は、人の心を折るのに充分な強さを持ってると思う。

 だから早々に見切りをつけて、自分の世界を作ってしまうんじゃないかなーって。他の人も同じかはわからないけどぼくの世界はそうして生まれた。その世界が現実のものでないということは作る前からわかってる。ここで叶っても現実は叶えてくれないということも、わかってる。要は理想を諦めるか、現実を諦めるかで前者を選んでるということなんだよね、自分の世界に引きこもるってのは。

 そのことに対する是非は正直どうでもいい。良いことだろうが悪いことだろうがこのスタンスを変えることはないだろうし、代替案も思いつかないし。必要最低限の生活はなんとか営んでいるしね。完全に引きこもることが無理だってことも、わかってる。

 でも時々考えちゃうのよね。現実を諦めてるつもりで生きてるけど、結局のところ理想だって叶ってるわけではない。言ってしまえばどっちも諦めてる状態になってる。かといって現実一筋になれるほどここは優しくなくて、大体の出来事で幻滅させられる。そういうものだから仕方ないって受け入れながら生きていたとして、それは何のためなんだろうって。沢山ある嫌な気持ちと、それでも捨てられない大切な出来事と、そのバランスで生きていくのがベストなんだけどさ。その捨てられない大切な出来事の数にもよるよな、とかね。

 

 ちなみに、ぼくの理想はすごくざっくりというか漠然の極地みたいなもので、幸せになりたい、です。だけど幸せって何だろうという答えが未だに見つけられていないので、スタート地点にも立てていません。悲しいね。

 どうして、何故。そういうのを追求しだすとメンタルがブレイクしやすいらしいから程々にして切り上げるべきなんだけどね。答えなんてものは一生わからないままだし。でも、わからない、を考えるのが好きだからどうしてもやめられないのよね。我ながらくそ難儀だな。

 

 そんなことを考える成人の日。あまりに同級生と会わなすぎて死亡疑惑が流れていたことを成人式で初めて知らされたミカグラでした。