ぼやきの場所

使ってるSNSでは気後れする長さの文章置き場。

ひらさわすすむ。

 高校生のときにパレードを聴いてからずっと馬の骨と呼ばれる人種になっている。ヒラワサって大分長いこと活動しているので私の人生半分でもまだまだ新参者として扱われると思う。同級生がパプリカの話をしていて、その子の家でDVDを観たのがきっかけだったのはよく覚えている。他の子が有名な夢のパレードで盛り上がってるなかで、バックに流れる狂気のBGMが頭から離れなかった。

 そこから色々と漁っていくうち、当然のようにあの独特な世界観に脚を囚われてずぶずぶと底なし沼に嵌っていった感じ。入りがパレードで、次聴いたのがBig brotherだったのよ。だもんでアッパーで危ない狂い方してる歌を歌ってる人ってイメージが強かったし、その後に聴いていたのもメジャーなところからだったもんでその印象はどんどん補完されていってた。具体的に言うと夢の島思念公園とか地球ネコとかあのへん。論理空軍も確かかなり最初の頃に聴いてて、あのやべえPVも相まってたよね。白虎野の娘もパレードと同時期に聴いていたはずなのに良さが分かったのはかなり後だったあたり、インパクトの強さが窺えると思う。

 

 でも、ヒラサワってそれだけじゃないんだなって気づいたのは数年経ってからだった。確か庭師KINGかロータスのどっちかを繰り返し聴いてるうちに、な気がする。ある程度年齢を重ねて、歌詞の意味を考え出すようになって。ヒラサワの曲ってストレートなんだけど捻くれてるもんだから、当時の理解力で考えるのは無理だったんだと思う。文法的におかしいの承知の上で、シンプルにストレートな歌ばっか聴いてたから。もしくは完全なワードサラダにも似た歌。

 メンタルの調子を本格的に崩してから色々と考えるようになって、そのときに聴いてはっとしたの。ロータスの歌詞にある大好きなとこ、“変わらない人をたずね、道にまようよりも”って。昔は何気なく聞き流していたその一節がとにかく深く胸に刺さった。びっくりしながら他の曲を聴き返したら、確かに捻くれてるんだけどこれは応援歌だって思える歌が沢山あった。ぶっきらぼうに、こっちを見もせずに背中を押してくれるような感じって言ったら良いのかな。考えてみたらヒラサワはそういう感じのがイメージに合ってるよなって。先述した庭師KINGもそうだし、白虎野の娘の良さに気づいたのもこの頃。あとRIDE THE BLUE LIMBOの最後、“人らしく勤め”も大好き。落ち込んでるときに聴くと今でも大号泣しちゃう。

 どの歌にも共通しているのが、失ったものの尊さを認めながら、それでも前へ進んでいこうって思わせてくれるとこ。自分の人生を歩むなかで、手放さなきゃいけなかった大事なもの。いつの間にか薄れて消えてしまっていた、大切だったはずのもの。それらを思い出させて、改めて抱えさせてくれる。時々それが重荷に感じられることも勿論あるけど、どれも自分という歴史には必要不可欠なものなんだよなって。抱えさせてくれて、踏ん張らせてくれる。どん底まで叩き落ちたい気持ちが過ぎた後、顔を上げる為に必要なやつ。

 ヒラサワ自身がタイとか仏教とかそっちに興味関心が向いていることもあって、そういう雰囲気の歌は確かに多い。それなのにサイバーだとかディストピアだとかそういう単語も彷彿とさせるから頭が混乱するのよね。全然関係ないんだけどヒラサワのウィキペディアみると使用楽器のとこにテスラコイルってあるんだよ。意味分かんないよね、テスラコイルって楽器なんだ……ってなるんだけどライブ見ると確かに楽器なんだよね。

 

 フルヘとか世界タービンとかハァーイとかわけわからんPVとか厳密には名義違うけど2DのPVとか狂気もしくは恐怖を感じさせるやつも確かにある。キャッチーなのはそっちだと思う。私は何度見てもPVは狂気と恐怖を同時に感じます。頭の中どうなってんのっていうか頼むから不思議なクスリ飲んでてくれってなる。何気なく開いた動画で自分の正気疑わなきゃいけなくなるこっちの身にもなってほしい。

 ただ、そういうキャッチーで狂気的というかやべえ宗教みたいな歌だけじゃなくて捻くれた応援歌も私は大好きだなっていうことが言いたかった。終わり。