ぼやきの場所

使ってるSNSでは気後れする長さの文章置き場。

寛大になりたいと思う

 何に対して? それはもう色々なものに対して。

 人の数だけ価値観が存在していて、そのどれもが尊重されるべき大切なものであるというある種の信念のようなものを持っている。でも実際に行動へ反映できているかと振り返ると正直沈黙してしまうのが今の私。特に好きな物事や人に対しては過激な反応を取りがちで、直したい自分の欠点として自覚している。日頃そこまで物事に興味を持てない人間だからこそ、琴線に触れたものへの思い入れが強くなってその分頑固になってしまう。

 強い感情を持つのは苦手。そこに正負のベクトルは関係なくて、とにかく何に対しても執着したくない。執着するとどうしても心が狭くなって、寛容でいられなくなる。他の価値観を尊重できなくなる。それが嫌なんだよね。だから他者が関わる物事に対して、深く踏み入れないように努めているところがある。理解を深めて、共感して感情移入すればするほど強い感情を抱くようになってしまうから。それが好きでも嫌いでも、そうで在りたい自分から遠ざかってしまう要因になる。

 とはいえ私も人間なので意識したところで結局感情を排することは不可能で、惹かれる物事や人は存在してしまう。なのでそういうものに対して、自分だけで完結させるようにしている。好きも嫌いも、自分の感情だけ見つめてそれ以外に意識を向けないようにって感じ。意識しなければ気にならない、という理屈ですね。これ結構私には合っている対処法のようで、平和に穏やかに好きなものを好きでいられる。自分の不寛容さを嫌悪することも起きないし、嫌いなものは見ないでいられる。

 

 で、問題は意識が向いてしまった場合。事故みたいな感じで起きることがある。例えばFF14FF10のネタを見てしまうとか、そういう出来事。当時の発狂具合は本当に凄まじかったと思う。文字通り怒り狂ってるとしか表現できなかった。妹ちゃんにブチギレまくった怪文書を送りつけるし、今後FF10にまつわる特定のネタが登場したときには引退してもう金輪際二度とプレイしないと高らかに宣言するしで大変だった。

 私にとってFF10というゲームってそれはそれは大事なもののひとつで大好きなゲームなんだけども、FF14だって嫌いというわけではない。もっと言えば別に登場させたネタも悪意がある使い方はされていない。作品ごとにバハムートもシドも設定から何から変わってるようなゲームで、同じことをされただけ。なのにこの有様。私の不寛容さが垣間みえると思う。そして、何故私が好きという感情すら敬遠するのかも、何となくわかるんじゃないかな。

 

 寛大と無関心は表裏一体のものだと思っている。ある程度の距離がないと許容できる範囲は確保できない。そして私は距離を取るのが絶望的に下手なのだ。好きになってしまったもの、執着してしまったものに対して深入りしすぎてしまう。それに応じて許容範囲は狭くなる。結果、最初に書いた通り人の数だけ存在する価値観はその全てが等しく大切なものなのに他者を尊重することができなくなる。それが好ましくないということがわからないほど、馬鹿にはなれない。

 無関心でありたい。執着したくないし、好きにも嫌いにもなりたくない。どっちでも良いとかどうでも良いみたいなスタンスでいたい。だけど上手くいかない。どうすれば良いんだろうと考えるために文章として形にしてみてるけど、良い方法が思いつかない。答えが出なくて、少し苦しい。ので、今日はもう考えるのやめようと思う。まとまりのない文章になっちゃったけど、後日改めて考えるときの材料になるかもしれないのでこのまま残しておくことにする。